さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

他人の話

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観ているドラマのことはボロクソに言う。

でも、演じている役者の話はしない。

演技力についてならまだしも、私生活には興味がない。

 

友達と会ってしゃべるとき、ブログやSNSに書くとき、「友達の誰誰ちゃんがどうしたこうした」という話はあまり好きじゃない。

特に、自分のことを何ひとつ明かさないでいて、いつも他人様をネタ(この言葉は嫌いだけど)にする人とは、距離を置きたくなる。

 

他人の事情はわからない。

経験していないことを想像するのは限界があるし、その想像の手がかりだって、本人がすべて開示しているわけじゃない。

目に見える行為だけを見て、ああだこうだ言うのは、その人の心を無視した失礼なこと。

まったく通りすがりの人のそれならば、まだしも、多少は知り合いでこれからも縁が続くかもしれない相手のほんの一部のことを、よそでネタにするのは気分が悪い。

あなただって私のこと、なんにもわかってないでしょう?と言いたくなる。

 

ひとさまの別れの理由とか、家族内のあれこれ、たとえそれが浮気や不倫のことであっても、よそさまを非難しているのを見聞きすると、それがあなたに何の不利益が?と思う。

こみいった事情もわからないのに。

それで、親しくしようとしていた人との熱が冷めてしまうこともある。

私が知りたいのは、あなたのことで、あなたの知り合いのことなんてどうでもいいのよ。

自分のことは言えないけど、他人のことは、事情を知らなくても平気で非難できるんだ~ってね。

人を非難するなら、そう思うに至る自分の事情や経験を語ってから言えよ。

それでもって、みんなでああだこうだコメントして盛り上がっていて、気持ち悪い。

 

ちょっとだけ行き来したSNSでの話。 

私は、そこから外れようと思う。

そもそもそこでは「日記」と称しているくせに、日記に他人様のことを書くって何なの?

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ストレス

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しなければならないと思うからストレスになる、のでそれをやめよう、という人がいたとしたら、しなければならないのにしない人・しなくて済む人、の存在が私のストレスになる、って話。

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キ・オ・クと今と

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ゆるやかな揺れの後、緊急地震速報が鳴るかもしれないと思って身構えた。

災害やその被害に対してでなく、スマホに対して構えてどうなるというのか。

愚かなことだが、その瞬間は確かにそうで、けれども速報は鳴らなかった。

震源が深すぎると鳴らないらしいと知ったのは、つい先ほど。

 

いったん揺れが収まったかに思えたが、次にやってきた揺れは思いのほか強くて、それでもスマホが鳴らないことに、どこかで安堵した。

ずいぶん長く揺れていた、と思う。

ダイニングのペンダントライトがかなりの角度で振られ、食器棚の中でカチカチと音が続いた。

それは私に否応なくあの日を思い出させ、揺れているさなかから、母に電話をした。

あの日は、固定電話もケータイもメールも、繋がったのは7時間か8時間経ってからだったから、まず連絡をというのが先にあった。

実家もだが、ニュースを見ても、特に深刻な被害は報告されていないことに、今度はちゃんと安堵する。

もちろん、未だ停まったままの電車もあり、たとえば大切な人の生き死にに関わる場面に間に合わせようと急いでいる人が乗っているかもしれないと思えば、報道されない個々の深刻さというのは、たくさんあるのだろう。

 

風呂に湯を張ろうとしていた。

けれど、湯船に浸かるのはやめて、軽くシャワーを浴びた。

パジャマに着替えるのをすこしためらった。

 

あの日のあの夜は、服を着たまま、テレビのあるリビングで横になった。

たびたび余震が起こり、そのたびにつけっぱなしのテレビが嫌な速報音を立てた。

しかし、当時、速報の入らないケータイだった私には、テレビを消す勇気はなかった。

夫は、地震直後から職場の対策本部に駆り出されていて、夜になってからしばらく帰れないと連絡がついた。

滑り落ちたアルバムや書籍、激しい揺れで開いてしまった棚の扉からほとんどが落ちて割れてしまった食器や趣味の陶磁器の破片を片付ける力もなく、ぐちゃぐちゃの室内で、テレビの画面から流れてくるそれどころじゃない映像を呆然と眺めた。

停電しなかったことが、本当にありがたかった。

揺れていないのに、揺れているような感覚が抜けず、食器の触れ合うカチカチという音が耳にこびりついた。

 

今日の地震震源がもっと浅かったら、もっと東京湾寄りであったら、この建物も私も終わっていたかもしれない。

 

懐中電灯の電池が切れていないことを確認した。

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錯覚

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バスルームにウォールシールを貼った。

カランや鏡のある面と、ドア部分を除いた3面の壁。

湯船に浸かってみると、これまでと違った非日常感が嬉しい。

 

日常に安らぐ、という人も多い。

いつもと同じ、という安心感。

でも、私は。

いつもと違うことに寛ぎを覚える。

 

たとえば。

自宅を、旅先と錯覚するようなしつらえにしたい。

日常を非日常らしくすることで、私は毎夜の安らぎを手に入れることができる。

 

チェーン店は嫌いだ。

知らない町で、知っている看板に出会うとホッとするという人もいるが、私はそうではない。

叶うならば、いつもいつも、見知らぬ町で、違う街並みを眺め、違うベッドで眠りたい。

その非日常こそが、私を休ませる。

そのために、少ない金額でできる錯覚を、私は必死に探し求めている。

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年初雑感

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折り畳みではなくしっかりした傘を持って行くのがいいでしょう、と画面の中で気象予報士が告げたので、16本骨の長い傘を携えて出勤した。

さっきまでそのことに文句をつけたくなるような青空と日射し。

 

と、いきなり、地響きのような音を立てて突風が吹く。

見ると、空と街にライトグレーの絵の具が流されている。

ほぅらね、言ったとおりでしょう、と名前も忘れた予報士が、電波の中で胸を反らせる。

 

今日が支払期限なのか、コンビニでは公共料金の納付書を持った人が続く。

住宅街のコンビニは、オフィス街のそれと違って、店員の対応がいくぶんおっとりしている。

昼休みの長い列をてきぱきと捌く、という必要がないから、と思う。

高齢化の進んだ古い田舎町であれば、その対応はさらに緩やかだろうと想像する。

それ一点とっても、導火線の短い私(皇室発言のパクリ)には、田舎暮らしは無理だろうと思われる。

 

コンビニやスーパーには、また「手のひら返し感」が満載で、すでに旗や看板は「恵方巻き」一色になっている。

それが過ぎると、たぶん「ひなまつり」ケーキの予約キャンペーンか何かになる。

こうして季節を先取りする光景に囲まれているから、私たちの1年はあっという間に過ぎゆくのだ。

いつもいつも目標を定め、その先を見る生き方が、私は好きではない。

 

夜よ来い、鐘よ鳴れ、日々は過ぎゆき、私はとどまる、と書いたのはアポリネールだったか。

ミラボー橋からの美しい眺めでなくとも、時に取り残されることを私は望む。

 

外のグレーが濃さを増した。

夜よ来い。

私はきっと、寒さより暖かさに耐えられぬ人間。

 

年賀状を出すのをやめてメールでの挨拶に代えたけれども、そのメールすら打つ暇がなくて、結局昨日の朝、何通も送った。

うちのふたりが、実は父が逝った、母が病んだと返信を寄越した。

なるほど、喪中欠礼のハガキは来るが、メール欠礼を知らせる習慣はない。

とってつけたような年賀の言葉を詫びた。

 

おめでとう、と屈託なく言えたのはいつまでだったか。

私の日々も、確実にグレーの色を増している。

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酒の席で、職場の未婚の男性社員が

「(アナタには)子供がいないからわからないんだよ。」

って言われると、もうそこで反論終わり、みたいことになると言っていた。

なんでそんな話になったか忘れた。

でも、うん、そうだね。

私もですよ。

 

私のカラダは、生れてから死ぬまで私だけのもので、私の内部に誰かの生と死を内包することはない。

それは、逆に言えば、子供がいる人にはわからないだろうが、宇宙を支配し損ねた感がある(^_^;)

 

私は跳べないのだ。

従うべき内側の摂理を持たないから。

 

考えが男性的、とよく言われる。

男性の友達のほうが多いし、女性の相手は、特別に親しい人を除いては苦手だ(^_^;)

私は女性が怖い。

特にお母さんである女性。

それくらいのこと、と人は言うが、子を成していないというのは、人として根源的な差、と感じている。

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寄り道

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クライアントのところに届け物に行った帰り道、金毘羅宮に出会う。

高層ビルの谷間に、ひっそりと、ではなく堂々と鎮座しているところがいい。

文句あるか的な佇まい。

ここへの参詣が目的ではなく、ついでに、あるいは偶然に寄った人ばかり感がなおいい。

堂々としているのに押し付けがましくない。

 

5円を投じ、余りあるお願いを申し述べた。

文句あるか的に(^_^;)

 

スピリチュアル、とかいう言いようがむず痒い。

パワースポット、とか言われると、行く気が殺がれる。

信仰という言葉からはみだした形容のできないものを、寺社にも、自己にも求め、それが満たされるとき、来て良かったと思う。

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