さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

要らない

子供の頃は、猫とカメを飼っていた。

どちらも、偶然、うちに流れ着いたもので、元来生きものを飼うことに反対だった母も「やむなく」というところ。

 

独り暮らしになった友達は、みな、猫とか犬とかウサギとかを飼っている。

それまで両親の介護に追われていた親友も、独りになれて初めて念願だったわんこが飼えたと喜んでいて、会うたびに犬バカのごとく愛犬の写真を見せてくれる。

 

淋しいでしょ、なんか飼えば?と言ってくれる声も多い。

虫類とか、蛇とかを除いて、生きものは嫌いじゃない。

でも。

 

私は、要らない。

淋しくない。

淋しくなることが、これからあるとしても、その淋しさも込みで、私は独りを求めている。

 

それより。

私は、人であれ、動物であれ、もう一瞬たりとも、余計なことで心をざわつかされるのが嫌なのだ。

 

犬も猫も可愛い。

でも、可愛がるだけで、いのちを預かることはできない。

体調が悪くて外に出たくないときも、ああ、犬を散歩に連れて行ってやらねば可哀想だなぁと思ったり、別の何かに集中しているときにじゃれついてくる猫を煩わしいと感じてしまうことそのものが、嫌なのだ。

実際に散歩に行ったり、じゃらす相手をしたりする行為よりも、そうせねばならぬということが重い。

そうしないと、自分がひどく冷酷な人間に感じられて、さらに辛い。

 

そういう心のざわつきがないことと、生きものによって得られる癒しとか慰めとかを秤にかければ、私は前者を選ぶ。

できるだけ、できるだけ、凪の心でいたい。

その想いは、淋しさを簡単に凌いでしまう。

心穏やかに暮らせるなら、淋しさなど屁でもない。

 

なんの縛りもなく生きたい。

それは不可能と知りつつも、そう願い、そのために、いろいろなものを排除しようとしている。

 

そして最後に、どうしても排除できないものが残る。

だから、これ以上心をかきまわすものは、私には要らない。

人もまた例外にあらず。

 

ひどいときは30分に1度あった発作が、独りになってから3時間に1度まで快復した。

しかし、部屋を貸してからは、1時間に1度まで再悪化している。

夜も眠れたものではない。

身体は正直。

広告を非表示にする