豪雨
駅舎の外はすさまじい雨だった。
大半の降客は傘を持っていたが、それを開いて出ていくことも躊躇われて、屋根の下に留まり、どこか呆然といった面持ちで豪雨を眺めていた。
私の傘は折りたたみの脆弱なものだが、軽い決心をしてそのまま出た。
矢のごとき勢いの雨粒に、傘が撓む。
かまわず、歩く。
何より、風がない。
風さえなければ、傘をとられることもない。
小さな弱いナイロン?が私と雨とを隔てていた。
むろん、服も足元も水をかぶったようになったが、頭さえ濡れなければいい、というような気持ちで歩いた。
なんのことはない、たとえ頭が濡れようとも、いずれ乾くのだ。
服や靴が乾くのと同じ。
たくさんの雨が、私を通り抜けて行く。
止まない雨はない、という慰めだか励ましだかの言い草は嫌いだけれど、私は雨の中を歩いても、自分の体温で濡れた身体を乾かすことができる。
できる、と思う。
家に近づくにつれて、雨は小止みになり、前まで到着したときには、嘘のように上がってしまった。
駅舎の屋根の下で様子を見ていた人たちは、もう歩き出しているだろう。
あの人ももう少し待っていれば良かったのにね、などと、同情と嘲笑の半分ずつをいただいているかもしれない。
けれど。
これが私なのだ。
濡れることがわかっていても、歩き出したいときがある。
冷たくなった服を脱ぎながら、負け惜しみではなく、ひとり笑った。
そして、水をいただいた眼下の街を、いつになく美しいと思った。