蟹を産む
大量の蟹を「産んでいる」夢を見た。
小さな沢ガニみたいなのもあれば、郷里の名産のずわい蟹もある。
そして、彼らはみな生きていなかった。
産むというより、排泄であったのかもしれない。
この夢の深層分析は必要ない。
青が群青になり、やがて墨色になるように、すべての時間と空間には、明確な線はない。
朧で曖昧で境を持たぬ世界を、私は一方で受け容れ、他方で拒んでいる。
どこが優勝するにしても、今年のワールドカップを、私はけして忘れないだろう。
多くの人を惜しみ、同時に拒んでは、別れを繰り返した年の。
蟹を産めるとしたら、それは食べるためなのか。
食べて生き抜くためなのか。
それとも。
自分が産んだ蟹は、食物としての価値を持たず、ただ愛すべき対象のみなのか。
夢の中では、どんな感情も湧いてはこなかった。
それは、私には、未だ知らぬ感情がいくつもあるということ。
たくさんたくさんあるということ。