さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

年初雑感

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折り畳みではなくしっかりした傘を持って行くのがいいでしょう、と画面の中で気象予報士が告げたので、16本骨の長い傘を携えて出勤した。

さっきまでそのことに文句をつけたくなるような青空と日射し。

 

と、いきなり、地響きのような音を立てて突風が吹く。

見ると、空と街にライトグレーの絵の具が流されている。

ほぅらね、言ったとおりでしょう、と名前も忘れた予報士が、電波の中で胸を反らせる。

 

今日が支払期限なのか、コンビニでは公共料金の納付書を持った人が続く。

住宅街のコンビニは、オフィス街のそれと違って、店員の対応がいくぶんおっとりしている。

昼休みの長い列をてきぱきと捌く、という必要がないから、と思う。

高齢化の進んだ古い田舎町であれば、その対応はさらに緩やかだろうと想像する。

それ一点とっても、導火線の短い私(皇室発言のパクリ)には、田舎暮らしは無理だろうと思われる。

 

コンビニやスーパーには、また「手のひら返し感」が満載で、すでに旗や看板は「恵方巻き」一色になっている。

それが過ぎると、たぶん「ひなまつり」ケーキの予約キャンペーンか何かになる。

こうして季節を先取りする光景に囲まれているから、私たちの1年はあっという間に過ぎゆくのだ。

いつもいつも目標を定め、その先を見る生き方が、私は好きではない。

 

夜よ来い、鐘よ鳴れ、日々は過ぎゆき、私はとどまる、と書いたのはアポリネールだったか。

ミラボー橋からの美しい眺めでなくとも、時に取り残されることを私は望む。

 

外のグレーが濃さを増した。

夜よ来い。

私はきっと、寒さより暖かさに耐えられぬ人間。

 

年賀状を出すのをやめてメールでの挨拶に代えたけれども、そのメールすら打つ暇がなくて、結局昨日の朝、何通も送った。

うちのふたりが、実は父が逝った、母が病んだと返信を寄越した。

なるほど、喪中欠礼のハガキは来るが、メール欠礼を知らせる習慣はない。

とってつけたような年賀の言葉を詫びた。

 

おめでとう、と屈託なく言えたのはいつまでだったか。

私の日々も、確実にグレーの色を増している。