さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

キ・オ・クと今と

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ゆるやかな揺れの後、緊急地震速報が鳴るかもしれないと思って身構えた。

災害やその被害に対してでなく、スマホに対して構えてどうなるというのか。

愚かなことだが、その瞬間は確かにそうで、けれども速報は鳴らなかった。

震源が深すぎると鳴らないらしいと知ったのは、つい先ほど。

 

いったん揺れが収まったかに思えたが、次にやってきた揺れは思いのほか強くて、それでもスマホが鳴らないことに、どこかで安堵した。

ずいぶん長く揺れていた、と思う。

ダイニングのペンダントライトがかなりの角度で振られ、食器棚の中でカチカチと音が続いた。

それは私に否応なくあの日を思い出させ、揺れているさなかから、母に電話をした。

あの日は、固定電話もケータイもメールも、繋がったのは7時間か8時間経ってからだったから、まず連絡をというのが先にあった。

実家もだが、ニュースを見ても、特に深刻な被害は報告されていないことに、今度はちゃんと安堵する。

もちろん、未だ停まったままの電車もあり、たとえば大切な人の生き死にに関わる場面に間に合わせようと急いでいる人が乗っているかもしれないと思えば、報道されない個々の深刻さというのは、たくさんあるのだろう。

 

風呂に湯を張ろうとしていた。

けれど、湯船に浸かるのはやめて、軽くシャワーを浴びた。

パジャマに着替えるのをすこしためらった。

 

あの日のあの夜は、服を着たまま、テレビのあるリビングで横になった。

たびたび余震が起こり、そのたびにつけっぱなしのテレビが嫌な速報音を立てた。

しかし、当時、速報の入らないケータイだった私には、テレビを消す勇気はなかった。

夫は、地震直後から職場の対策本部に駆り出されていて、夜になってからしばらく帰れないと連絡がついた。

滑り落ちたアルバムや書籍、激しい揺れで開いてしまった棚の扉からほとんどが落ちて割れてしまった食器や趣味の陶磁器の破片を片付ける力もなく、ぐちゃぐちゃの室内で、テレビの画面から流れてくるそれどころじゃない映像を呆然と眺めた。

停電しなかったことが、本当にありがたかった。

揺れていないのに、揺れているような感覚が抜けず、食器の触れ合うカチカチという音が耳にこびりついた。

 

今日の地震震源がもっと浅かったら、もっと東京湾寄りであったら、この建物も私も終わっていたかもしれない。

 

懐中電灯の電池が切れていないことを確認した。