11年目の珈琲
1年前まで、梅が咲きほこっていたところは工事中になっていた。
どこまでが梅林園だったかそもそも曖昧ではあったものの、10年も通っているのだもの、ここにも梅の木が何本もあったことは確かな記憶。
新しい道路を作るらしい。
それが住民にとってどれほどの利便性があるものなのか、旅人にはわからない。
すこし手狭になった梅林には、いくつかの新しい色の土が盛られていた。
工事区域にあった梅が植え替えされているのだろう。
どこにあっても私は私、なんでもないわとばかりに花をつけるものと、蕾のまま朽ちかけているもの、蕾の影もないものとがある。
それを生命力と呼ぶことに、躊躇いを超えて拒絶感のようなものを感じた。
毎年楽しみにしている、ご近所のお宅の源平の梅が、ここ数年は開いていない。
平屋造りの昔ながらの旧宅を、モデルハウスのような2階建てに新築したのはいつだったか。
古い家が取り壊されたとき、梅はどうなってしまうかと心配したが、庭の場所をすこし移して残され、その次の年は花をつけているのを見た記憶がある。
花とともにあった老夫婦の姿を、最後に見たのはどれくらい前だったか思い出せない。
通りすがりに言葉を交わしたこともあったというのに。
10年というと、なんだかずいぶん昔のことのようだが、その1年1年はあっという間で、あのときのあれが5年まえだったか7年前のことなのか、もはや記憶には霞がかかっている。
ここには1年に1度しか来ていない。
あと数年も通えるとして、工事に侵略されたのが今年のことだったとは、もう思い出せないだろう。
そして、今は新しい土の色は、ほかと似た色合いになり区別がつかなくなる。
どの木が花をつけ、どの木が枯れてくのか、そうなってしまってからは原因を探ることもないのだろう。
一重の白梅が一番好きだ。
紅梅も咲いているのだが、どうしても好きなものにばかりカメラを向けてしまう。
毎年、同じような写真を撮っている。
もちろん、そのときの心持ちや周囲の環境は、すこしずつ異なっており、たぶん。
悪化している(^_^;)
次の年のことは、考えたくない。
午後に半休をとって実家に行く予定をしていたが、このときしかないと思い、朝から休んでここに来た。
仕事と介護と看護でキッチリと組み合わさったパズルから、無理やりひとつのピースを取り出して組み直す。
はじき出されたものを小さくして、別のところにねじ込む。
そういう日常。
これはもう1週間以上前の話。
こうして今、しなければならないことを放り出して、ブログを書けることを幸せと思う。
だから今日は、実りあることはなにもしない。
11度目の珈琲、の前に、お茶。
これが去年。
これが一昨年。
その前がこれ。
その前の7年は別のところに書いていた。
封印済み(^_^;)
今年ここに書いたのは、ただの気まぐれ。
そろそろ、お見えになる頃だと思っていました、とマスターは言った。
確たる約定ではないところが自分で気に入っている。
梅が咲いたら。
見に行けたなら。
人との再会を含めた出会いを、歳時記として日常に刻む。
そのときの話題が、5年前のことだったか7年前だったかが曖昧になっても、梅を見た後にここでマスターと話をしたことだけは確かな記憶として、ずっと私の胸に残るだろう。
そうして。
自分では、あれからどうしたとは問い合わず、去年の話の続きをした気がしている。
次の年も、今年の話の続きができたら、それを幸せと呼ぼう。
今回の会話で、マスターが海苔がパリパリのおにぎりが好きだとわかった。
おかずのない食卓で、母親が握るそばから食べたからだそうである。
海苔がしっとりする暇がなかった。
マスターにとっておにぎりはそういうものだそうだ。
私は、やはりおかずがない食卓で、母が作り置いたおにぎりを食べた。
握ってからずいぶんと時間が経っていて、海苔はべったりとご飯に貼りついている。
私にとっておにぎりはそういうもの。
年に一度しか言葉を交わさない人と、こんなどうでもいい話をする。
けれど、そこから垣間見えるそれぞれの今とむかし。
「生きていてくださいね。」
と、マスターは言った。
頑張れでも、また来てください、でもなく。
「はい」と答えて、同じ言葉を返した。
そうして、実家に行くために駅までの道を走った。