さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

ごみゼロの日に毎年思うこと

ちょこっと書いていた別サイトの不具合があまりに多いので、書くところを探してうろうろした。

いくつか放置してあるブログの中で、一番読んでいる人が少ないのがここ。

本音を書くのにはちょうどいいので、これからしばらくここに書こうかなと思う。

ブログは読む人のためじゃなく、書く人のためにあるものだから、ストレスなく書けるところがいい。

 

昨日の早朝、兄の墓参りに行き、帰りに温泉。

昨日より今日は暑い。

明日はもっと暑いらしい。

明後日はさらに。

 

先週回ってきた回覧板によれば、明後日はごみゼロ運動の実施日だ。

毎年、5月30日に一番近い日曜日は、町内会の行事として住人が総出で掃除をする。

うちのマンションでは、マンションの敷地内だけ。

 

結婚を機に入居して32年。

築33年だ。

入居したときは、私が最年少だった。

多くは30代後半か40代。

小学生くらいのお子さんのいるご家族が多かった。

管理会社は2度変わって3社目だが、住人の入れ替わりがないことにびっくりされている。

 

あの頃、40代だった人は、33年経って70代になっている。

そのうち、年金受給が70歳になり、定年もそこまでいくかもしれないことを考えると、70代だってバリバリなのだが、やはり若い頃とは違う。

病気になりやすくなったり、治りにくくなったり、30年前はなんでもなかったことで、いつまでも疲れがとれなかったりする。

 

そういう人が35度にもなろうかという日中に、屋外で掃除をしようというのである。

やめたほうがいい、と思う。

 

うちのマンションでは、平日、毎日お掃除の人が来てくれている。

ほかより高い管理費で、その人の報酬をまかなっている。

いまさらごみゼロなどと言っても、拾うごみがないのだ。

拾うごみがないので、やむなく雑草をむしるのだが、カマの数も足りず、また雑草そのものもさほどない。

遊びがてらに参加したお孫さんたちは、植栽費を払って植えてもらった植物をむしってしまう。

花が咲いていないと、雑草との区別がつかないのだ。

 

形骸化したごみゼロの日、やめたほうがいいと思う。

毎年そう思っているが、言えない。

おそらく、集まった住人たちは、掃除よりもおしゃべり目的なのだろう。

仕事をリタイアしてずっと家にいる人、おしゃべり相手のいない人が年々増えている。

なら、掃除なしで親睦会とかだけやればいいのに。

私は出ないけど。

 

明日は、母の老健

炎天下、駅から30分歩くので、熱中症に注意しなければと思う。

日傘が壊れてしまっていたことに、さっき気づいた。