さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

私の子供は死んだから

私の子供は死んだから。

 

産休や育休をとって、同僚に業務を負担してもらっているときに、ただ産まれた赤ん坊だけを見せに、会社に来ないでほしい。

出産や育児の大変はあるのだろうし、気晴らしも欲しいだろうし、自分には可愛く見える赤ん坊を自慢したい気持ちもあるのだろう。

 

しかし、あなたの気晴らしと自慢を、あなたの分まで忙しくなった職場に、能天気に持ち込まれては困る。

みんなで気晴らしをするような、休日のレクリエーションになら、どうぞご参加ください。

でも、仕事中はやめて。

 

子供が死んでから、私は、子供そのものを可愛いと感じないようになることで、自分の傷を癒してきた。

だから、他人の子は、可愛くない。

うるさく騒がれたりしようものなら、憎悪さえ感じる。

子供が嫌いだと言うと、周囲は、私をいかにも冷酷な情け知らずの女ととらえるらしいが、それでもかまわない。

 

産まれた赤ん坊を自慢に来る人は、自分と赤ん坊の姿が、見る人すべてに幸福を与えていると思っている。

でも、それは、違うのよ。

 

年賀状や暑中見舞いに子供や孫の写真を印刷してくる人とは、できるだけ疎遠になるようにしている。

私は別に、あなたの家族に興味はない。

 

祭囃子が聞こえる。

この夏、母は、平均寿命に達した。

私には、生より死のほうが、ずっと身近だ。

誰もが感じる生のエネルギーは、私にはただ負荷であるばかり。