さなみん

石をひとつ投げ込んでみる心のなか

コンビニにて

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その女性はいつも怒っていた。

店長からきつく言ってもらうから、という言葉がこぼれたところをみると、店長は別にいて、その人は主任か何かなのか、ただの先輩店員にしては口調が厳しい。

あなたの言い方だけで充分にきついです、と陳列棚を物色しながら思っていた。

 

新しく入ったばかりであろう女性店員は、言葉のたどたどしさと胸のネームプレートから、大陸からやってきた人だろうと推察できる。

ひたすら「ゴメンナサイ」を繰り返す店員に、客の前で怒りをぶちまける先輩店員の姿を何度か見て、私はそのコンビニを利用しなくなった。

 

今日、2ヶ月ぶりくらいにその店を覗いた。

接客をし、レジを打っていた店員さんを見て、初めは誰かわからなかったが、ネームプレートを見て、いつも怒られていた人だとわかった。

驚いたのは、以前とは別人のように動きがきびきびとしていたからで、言葉もずいぶんと流ちょうになっていた。

 

隣のレジには、もうひとり見覚えのない顔の男性店員がいて、カタカナで書かれたプレートの名はやはり日本のものではなかった。

言葉は、すこしたどたどしい。

 

カレー弁当の袋にスプーンが入っていないことに途中で気付いた客が、苦情を言いに戻ってきた。

まだ業務にも日本という国にも慣れないでいる男性店員が入れ忘れたものらしい。

詫びる彼の横に、すっと件の彼女が身を寄せて、客に頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。」

あらためて袋にスプーンを入れ、再び頭を下げ、客が帰った後、女性はなにごともなかったように自分の制するレジに戻り、てきぱきと客をさばいていった。

 

以前、怒ってばかりいた先輩店員の姿はなかった。

サンダル

ずっと前の夕陽。

いろんなことが起こっていると思っては嘆いてたのに、実は大変なことはまだ何も起こっていなかった頃の。

 

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夕焼けの国の続き。

  

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ブランコの下にサンダルを片っぽ、残して行こうと思ったのは。

それを取りに戻るためだった、と気づいた。

 

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こんにちはとさようならを繰り返して、ブランコは揺れる。

そして。

思い切り漕いで、飛び降りる先は、いつだって後ろではなく前。

こんにちはに向かって。

 

雨の音がする。

今アップした写真とはうらはらな空。

だけど。

サンダルを取りに戻るとしたら、こんな日がいい。

夕焼けの国

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夕陽を観た。

ずいぶんと久しい気がする。

兄の入院、手術の後、ようやく自宅暮らしになったものの、平日の仕事が終わるのが6時、帰宅すると7時半になっているし、休日は実家に行くことが多くなって、日没の頃に外を見る機会はない。

 

今日、夕陽を観たのは、仕事を休んだから。

自宅に戻って半月が経つが、どうにも疲れがとれない。

それでも、染まった空にささくれ立った心が和む。

 

気づかないうちに、また大規模マンションが建築中になっている。

失われて行く地平線。

 

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ブランコを思い切り漕ぐと、夕焼けの国に行けるんだという話を思い出した。

怖くて試したことはない。

でも。

今なら、試してみたい気がする。

そのときには、履いていたサンダルを片っぽだけ残して行こう。

 

特に、メッセージ代わり、ということもなく。

誰に、ということもなく。

嫌な女

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試験勉強がはかどらないのは、兄の手術のせい、ということにしよう。

明日は、お昼に仕事を早退して、病院からの説明を聞きに行く。

「万一失敗しても、文句つけません」てな承諾書にサインをする予定。

 

ふと、思う。

私のときは、いったい誰がサインをしてくれるのだろう。

いや、サインをする者がいないということは、文句をつける者もいないということだから、必要ないのかもしれない。

 

父の転院とセカンドオピニオンのときに持って行ったカセットテレコ?は、あまりにも音悪だった。

それで、昨日、職場で社長に話したら、ICレコーダーを貸してくれた。

 

明日は、髪をきりっとしばって、ダークスーツとピンヒールのパンプスで行く。

ちょっとデキる弁護士を雰囲気だけ真似て、録音し、メモをとる。

一言一句逃すまいぞ。

わからないことは、全部質問するぞ。

冷静に、冷酷に。

 

卑怯でも、意地悪でも、メンドクサイ女でもいい。

むしろ、そう見られたい。

甘い顔なんか見せられない。

 

強いね、なんて言わないで。

よく言われるけど(^_^;)

つっ張ってないと、壊れそうなだけ。

父が来た朝

朝起きてすぐに、母に電話をした。

出ない。

兄の携帯にかけた。

何回か呼んで、すぐに留守番電話サービスの声になった。

この女声が、いつも高すぎやしないかと感じている。

女性の声は、もうすこしアルトが好み。

 

玄関の物音に気づいて寝室からリビングに行くと、そこに父が立っていた。

ダブルロックにしてある玄関を、どうやって開けて入ったのかと思ったが、すぐに「ああそうか」と理解した。

父は、生きていたときより背が20センチくらい高かった。

経験したことのない高さから、私を見降ろしている。

その新鮮とも言える感覚を、私はまた「ああ、そうか」と思った。

足元を見た意識はないが、浮いていたのかもしれない。

 

「疲れた」と父は言った。

そして、勝手にリビングに横になった。

横になったとき、足はあった。

本当に疲れた顔をしていた。

徹夜で仕事をしても、あるいは飲んだくれて朝帰りしても、疲れというものを感じさせない人だった。

疲れたという言葉を聞いた記憶もない。

脳梗塞で倒れるほんのすこし前に、一緒に仕事をしていた母に「今日は疲れたから早仕舞いする」と言ったそうだ。

母は、父からそんな言葉を聞いたのが初めてだったので、これはおかしいと思って、タクシーで病院に連れて行った。

そのときは、もう脳出血があったらしい。

 

こんな感じなのか、と思った。

父はそのまま目を瞑り、私は声をかけるのが躊躇われた。

何をするすべもなく、横たわる父を見ているだけの自分がもどかしくて、ふっと目をそらした次の瞬間に、父の姿は消えていた。

「ああ、そうか」とまた思った。

 

そして、母に電話をしたのだ。

父が何のために私のところに姿を見せたのか、もしや母か兄に何かあったのではないかと。

 

3度目の電話で、母が出た。

寝ぼけた声。

特に変わったことはないという。

兄は早朝からゴルフだそうで。

来月半ばには、兄も手術だから、今のうちに、ということらしい。

手術がうまくいかなければ、もう二度とゴルフなどできなくなるということを、兄も心のどこかで恐れているのだろう。

 

夕方、着信履歴を見て、兄からコールバック。

元気そうな脳天気な声だった。

今週、手術の説明と、「万一のことがあっても承諾します」みたいな文章にサインをしに行かなければならないのだが、その確認かと思ったようだ。

 

父が来たことは言わなかった。

あの疲れは、父が何か骨を折った証かもしれないと、思うことにした。

たとえば、右を向いていた運命を、左に転換させた疲れ。

 

夢と思えば夢。

そうであれば、そこに意味などない。

スピリチュアルとかいう言葉は、嫌い。

おカネだけちょうだい

広島の土砂崩れの被災者が、今もまだ避難している学校施設だかに、ようやく臨時のお風呂が設置されるという。

着の身着のまま逃げてきて、蒸し暑い夜をいくつも過ごして、やっとお風呂に入れるのか。

 

空き家が増え過ぎた問題を聞いたのも最近のこと。

そういうのを、政治や行政の力で早く整備して、とりあえずでもいいから、プライバシーと清潔と健康が保たれる場所に移してあげて欲しい。

 

氷水をかぶるパフォーマンスは嫌い。

私には、あれは、コンビニのアイスクリームのボックスに入った写真を投稿したバカッター?と同次元に見える。

他人さまの難病を理由に、いや、他人さまの病気をおもちゃにして、自己アピールしているだけ。

黙って寄付すればいいのに。

悪行は堂々と、善行はこっそりとやるのがカッコイイ。

 

瓦礫をかぶったのは、痛くて見られなかった。

そうよ、お風呂のない被災者生活もあれば、日常的に水のない戦下の暮らしもあるのよ。

 

実際に寄付金の増えた難病患者は、感謝していると告げていた。

私なら。

その後に続けるわ。

もう氷水をかぶるのはやめてくれ。

派手なパフォーマンスは要らないから、おカネだけちょうだいって(^_^;)

どっかで、死人まで出たそうな。

もうわかった、もうやめてくれ、と私が患者かその家族なら、そう思う。

黙って、おカネだけちょうだい、あなたが善い人なら、と。

私の子供は死んだから

私の子供は死んだから。

 

産休や育休をとって、同僚に業務を負担してもらっているときに、ただ産まれた赤ん坊だけを見せに、会社に来ないでほしい。

出産や育児の大変はあるのだろうし、気晴らしも欲しいだろうし、自分には可愛く見える赤ん坊を自慢したい気持ちもあるのだろう。

 

しかし、あなたの気晴らしと自慢を、あなたの分まで忙しくなった職場に、能天気に持ち込まれては困る。

みんなで気晴らしをするような、休日のレクリエーションになら、どうぞご参加ください。

でも、仕事中はやめて。

 

子供が死んでから、私は、子供そのものを可愛いと感じないようになることで、自分の傷を癒してきた。

だから、他人の子は、可愛くない。

うるさく騒がれたりしようものなら、憎悪さえ感じる。

子供が嫌いだと言うと、周囲は、私をいかにも冷酷な情け知らずの女ととらえるらしいが、それでもかまわない。

 

産まれた赤ん坊を自慢に来る人は、自分と赤ん坊の姿が、見る人すべてに幸福を与えていると思っている。

でも、それは、違うのよ。

 

年賀状や暑中見舞いに子供や孫の写真を印刷してくる人とは、できるだけ疎遠になるようにしている。

私は別に、あなたの家族に興味はない。

 

祭囃子が聞こえる。

この夏、母は、平均寿命に達した。

私には、生より死のほうが、ずっと身近だ。

誰もが感じる生のエネルギーは、私にはただ負荷であるばかり。